詳しいプロフィール~慎月(Shingetsu)
幼少~短大生時代
本名:石川 洋子
お江戸下町の中心浅草生まれ、深川で育ちました。
亀戸天神からほど近い場所で遊び場が亀戸天神でした。
池にかかる太鼓橋が怖くて登れず・・・
甲羅干ししている亀を観るのが好きでした。
家族は母が公立幼稚園の園長、父が公立小学校の平教員で7学年上の姉が一人。
母が勤めていた幼稚園に母に連れられて通い、今思えば「もぐり」の児童?
父とは折り合いが悪く私は嫌いで仕方がなかった・・・
母に泣きながら「離婚して」と行った事を今でも覚えています。
小さい頃から喘息に悩まされて、当時は「往診」というものがあり
怖い怖いお医者さんに「悪い子には注射をしよう」と言われ今でも大の医者嫌い。
両親がヘビースモーカーだったので親のたばこで喘息だったような気がします。
医師の勧めで空気がきれいな三鷹市に引っ越しました。
そちらで初めて幼稚園に入園し「正式な」生徒になりました。
しかし、体が弱く遠足やクリスマス会に参加した事は1度しかありませんでした。
小学校に上がり田んぼのあぜ道を通っての通学。
カエルの卵を見つけて毎年オタマジャクシからカエルになるまでお世話をしていました。
3年生の頃、仲良し3人が何故かいじめっ子に目を付けられて
下校時に掴まって意地悪をされ、保健室登校をしていた時期がありました。
当時の小学校は、このいじめが発覚すると学校側は事態を重く見て
担任が厳しく個人面接をし、いじめた子たちの親が呼び出され、厳重に注意を受けました。
4年生になる時のクラス替えでいじめっ子たちはクラスをバラバラになる様、離されました。
また。このころから無理やり父にピアノをさせられて本当に嫌な思いをしましたっけ。
小学校5年になるタイミングで三鷹市から中野区に移住しました。
転校先では初日に早速、男子がいじめに来ましたが、以前にいじめられた経験があったので
上手く対処して無事にクラスに溶け込むことが出来て、楽しい2年間を過ごしました。
中学は親の希望で私立の女子校へ進学。
ほんわりとした学校で、その上エスカレーター式で高校⇒短大or大学も自動的に進学できました。
この女子校に入学した事で大きな決定的な出会い がありましたが詳細は後ほど・・・
受験が無いので勉強もせずクラブ活動に力を入れる楽しい6年間でした。
本当は理系の大学に進みたかったのですが両親に大反対され仕方なく家政科へ進学・・・(涙)
短大時代は栄養士の資格を取る学科だったので、大変取得しなくてはならない単位が多く
毎日、調理実習や実験で帰宅が遅くなりました。
写真部に入って部活は楽しかったと思います。
大学~カメラマン時代
短大からどうしても写真の勉強がしたくて日本大学芸術学部写真学科を受験。
一応、合格し、4年間通わせていただきました。
無事4年間で卒業し、小さな会社ですが雑誌の撮影の仕事を担当出来ました。
小さい会社だからこそ、すぐに現場で料理の撮影を教え込まれ大変勉強になりました。
その会社で出会った同じ誕生日の女性と独立し、彼女はライター、私は撮影担当で
楽しく仕事をしていました。
当時主婦の友社や平凡社の仕事をさせていただいていました。
その後私個人でも仕事を頂き、宿泊出張や遊園地での撮影等 世界が広がって行きました。
カメラマン~ヨガへ
とにかく太っていました。
年を取ってしまうと痩せられない!というのが当時の常識的考えでした。
運動神経がゼロでしたが「痩せたい」という一心でヨガを始めました。
別に痩せさえすれば良かったのですが先生から「そろそろ教えてもいいんじゃない?」
この一言でインストラクターとして多くのスポーツクラブで仕事をするようになりました。
勿論、撮影の仕事もしていましたよ。
いよいよ占いの世界へ~占いと私
ついに占い編まで来ました。
実は「占い」に出会ったのは中学に入学した時。
エスカレーター式の中学に無理やり親の都合で入れられ腐っていた時でした。
隣の席にいた、すっごく変わったオーラを放つ女子が突然
「私、手相観るのよ」
と、言い出しました。
実際に観てもらったら、その的中率に驚かされました。
手の平の線だけを見るのではなく、手の出し方から始まって手の形や指の特徴まで
その上「流年法」まで観ていました。
とても「中一の子供が観る手相」ではありませんでした。
もう、私は興味全開で毎日彼女に手相を教えてもらいました。
短大時代に写真部の部活費を稼ぐために
3日間文化祭の写真部の部屋で手相鑑定をさせていただきました。
大行列が出来てトイレにも行かれないほどの大盛況ぶりでした。
これが生れて初めて、お客様に鑑定料を頂いた「占い師」のお仕事となりました。
大人になってからまた「占い」に接する機会に出会い
算命学をまずは勉強いたしました。
ここで「私が父と合わない」という生まれである事を知り大変気が楽になりました。
その後、タロット・易占・陰陽五行系占い・安倍晴明式神占いなどを習得。
そして今年は易占に磨きをかけ、巒頭派風水・玄空飛星派風水を占術に加え
より皆様のお役に立てる様になりました。
10年近くお付き合いさせていただいているお客様も多くいらっしゃいます。
生まれ育った東京から京都へ
住み慣れた東京から昨年11月に京都へ移住致しました。
もう10年も前から考えていたのですがなかなか条件が整わず
やっと昨年の11月に京都市嵐山近辺に引っ越しをいたしました。
京都の文化、自然、歴史等本当に素晴らしいと思います。
仕事的にはゼロから再出発という感じになってしまいました。
京都では興味ある仏教に触れたいと思っていまして
偶然、素晴らしい講に参加させていただくご縁が生まれました。
感謝しております。
ご一緒させていただいているミクセリア所属占い師「HIKARU」先生が撮影してくださった動画です。
占いとの出会いや名前の由来、今までの占い師人生で一番びっくりしたお客様の事、今後の活動について、をお話させていただきました。
ご興味がございましたら是非、ご覧下さい。
一般社団法人 日本カルチャー協会認定講師
占い師をする傍ら、占いを教えてほしいというお声をいただき、
個人的に算命学などをお伝えしてまいりました。
2022年12月、一般社団法人 日本カルチャーセンター様の認定講師に登録されました。
今後は占いを勉強したい方や 私のように日本カルチャー協会の認定講師として活躍したい方をご指導させていただくことになりました。
「占い」というものは体力が必要なものではなく、また「対面鑑定」以外にも「働き方」が多くあり、
たとえ歩けなくなっても「電話占い」や「SNS占い」という働き方が可能な職種です。
人生100年時代に入り出来るだけ社会に関わり、社会のお役に立てるお仕事だと私は考えております。
また、人と話すことが「認知症」予防に大変効果的という事が分かってまいりました。
その点から考えても良いお仕事だと思います。
「1日で占い師になれる」とか「占い師になるのは大変簡単」というような広告も出回っていますが
実際はそんなに甘いものではありません。
集客も勿論大切ですが、まずは「しっかりとした技術」と「お客様から選んでいただける占い師」を目指しましょう。
まだ本格始動ではありませんが皆様と楽しく力のある占い師を目指して勉強して行きましょう。
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